海外の自動車メーカー各社の歴代社長の名言まとめ

海外の自動車メーカー各社の歴代社長の名言まとめ

 

今や生活の必需品となった自動車。

この地球上に自動車が誕生してから、人類は桁違いに行動範囲を伸ばし急成長してきました。

成長したのは人類だけでなく、自動車そのものも飛躍的に成長しています。
世界初の自動車が蒸気のチカラで走行したのに対し、現在は「人工知能搭載」「自動運転システム」「電気自動車」など、新世代型の自動車が続々と登場。私たちの生活をより便利にしてくれています。

様々な分野の中でも特に、自動車技術は目覚ましい発展を遂げています。
この背景には、どの自動車メーカーにも【素晴らしいリーダーシップをとった社長】の存在がありました。

並々ならぬ努力と統率力で自動車業界の隆盛を築いてきた人物たちの言葉は、現代を生きる私たちの人生にも勇気や希望、気付きを与えてくれます。

今回は【海外の自動車メーカー各社の歴代社長の名言】をまとめ、一覧にしました。

海外の自動車メーカー各社の歴代社長の名言まとめ

その国にとどまらず、世界を相手に戦った海外の自動車メーカーの社長の言葉は、オン・オフに限らず私たちの背中を正してくれるものばかり。

日本でもよく知られている「メルセデス・ベンツ」や「ポルシェ」など、有名な自動車メーカーの社長の言葉を中心に集めました。

メルセデス・ベンツの歴代社長の名言

カール・ベンツ

カール・フリードリヒ・ベンツは1844年11月25日に、ドイツで生まれました。

幼少期から頭脳明晰で、地元の学校では「神童」と呼ばれるほど。
早い段階で工学技術に関心を寄せており、わずか9歳で理系の道に進むことを決意。理系の学校に通い始めます。

15歳でカールスルーエ大学の機械工学科に入学すると、そこで4年間機械工学と内燃機関についてみっちり学ぶことに。
卒業するまでに、すでに”自走する乗り物”について空想を始めています。

19歳で大学を卒業してからは様々な機械工場で修行し技術者としての腕を磨くことに。
27歳では、初めて機械工作所を立ち上げました。

翌年にはベルタという女性と結婚し、夫婦二人三脚で”世界初の自走する乗り物”の研究・開発に取り組みます。
この研究・開発が、現在のメルセデス・ベンツのスタートなのです。

カール・ベンツの名言

・発明することの方が、発明したことよりもずっと面白いことだ。

・私は蒸気機関車を鉄道の束縛から解き放ちたいと思ったのだ。

上野金太郎

上野金太郎(うえのきんたろう)は1964年8月13日に、東京で生まれました。

早稲田実業学校・商業科を卒業後、早稲田大学・社会科学部に進学。

1987年に大学を卒業した後、メルセデス・ベンツ日本の新卒採用1期生として入社します。
営業部や広報部、ドイツ本社勤務、企業広報部長、社長室部長、などの経験を経て、2003年にはダイムラー・クライスラー日本(現・メルセデス・ベンツ日本)の取締役に就任。

2005年からは販売店ネットワーク担当役員兼人事・総務部ディレクターとなり、2年後の2007年からは副社長に。
そして2013年2月1日から現在まで、メルセデス・ベンツ日本の社長として活躍しています。

上野金太郎の名言

・国籍に関係なく、いいと思うものはどんどん取り入れていきたい。

・社員には「食わず嫌いになるな」とよく言っています。私自身、一番きつかった部署での日々が、一番充実していたと思うんです。

・私のモットーは「権利の主張をする前に義務を果たす」です。

・うちの会社は、さすがに「失敗してもいい」とは言いませんが、多くの上司が「失敗したら俺たちが面倒を見てやる」という姿勢を持っています。何事もやってみなければ分からない。何事もチャレンジしてみよと。

・仕事って、一つの角度から見ていると全体像が見えないんです。営業サイドから見たり、広報やアフターケアの視点から見たり、色々な角度から見ないと全体像が分からない。

・何事にも120%のエネルギーを注ぎ、本物以外は認めないのがメルセデス・ベンツの哲学です。

・やりたいことは直接掛け合う。

・メルセデス・ベンツ日本トラック部門の立て直しと撤退を担当したことは、いい経験になりました。小さな会社を経営したのと同じぐらいの、大きな経験をさせてもらったと思っています。

・日本の強みをメルセデス・ブランドに融合させ、さらなる高みを目指します。

ポルシェの歴代社長の名言

フェルディナンド・ポルシェ

フェルディナンド・ポルシェは1875年9月3日に、オーストリアで生まれました。

幼少期は、ブリキ職人だった父の手伝いをしていましたが、フェルディナンド本人は電気に興味を持っていたようです。
学校に通うことなく独学で電気実験を行うなど、早くからその才能を開花させます。

初めは電気の道に進むことを反対していた父親も、フェルディナンドの熱意と才能を認めずにはいられなかったようで、ライヒェンベルク国立工業高校の夜間部に入学することを許可します。

ライヒェンベルク国立工業高校の夜間部で学び終えたフェルディナンドは、1894年に首都・ウィーンへ。
「電気機器会社ベラ・エッガー」で働きながら、ウィーン工科大学の聴講生として熱心に工学を学びました。
その熱心さと才能が認められ、4年後には異例の検査室長に昇進。この頃には自動車への関心も高まっており、1897年末には自動車のモーターに関する特許を申請しています。

自動車モーターに関する才能はとどまるところを知らず、1898年にはヤーコプ・ローナーに引き抜かれ、実際に自動車開発を手掛けることになりました。

1906年には「アウストロ・ダイムラー社」に移籍し、そこで初めてイチからスポーツカーを設計。
この時製造したスポーツカーはプリンツ・ハインリヒ・トライアルで1~3位を独占する結果を残し、広くフェルディナンドの才能が認められることになりました。

幼少期から才能の塊であったフェルディナンドは、その後も歴史に残るスポーツカーを次々と開発。
「史上最も成功した大衆車」と言われる「フォルクスワーゲン・ビートル」の7開発者としても、成功を収めています。

フェルディナンド・ポルシェの名言

・私の夢を実現してくれる車はどこを探しても見つからなかった。だから自分で作ることにした。

・技術的問題を解決するためには、美的観点からも納得のいくものでなければならない。

・私は多くの人々に対してではなく、この車が人生の全てだと感じてくれる人に車を作りたかったのだ。

・ユーザーの立場で考えた場合、多少でも不利となりうる要素は決して採用すべきではない。

七五三木敏幸

七五三木敏幸(しめぎとしゆき)は1958年12月13日に、群馬県で生まれました。

群馬県立高崎高等学校を卒業後、1982年に一橋大学・社会学部に入学します。

一橋大学・社会学部を卒業後は地元である群馬県の地方銀行・群馬銀行に入社。
しかし自動車が大好きなことから転職を考え、1989年にMBJに入社します。

ダイムラー・クライスラー日本の営業部長を経て、2007年からはMBJからの出向という形でCJの営業部長に就任。
その後は代表取締役社長兼最高経営責任者や日本自動車輸入組合理事などの経験を経て、2014年1月ポルシェジャパンの代表取締役社長に就任します。

七五三木敏幸の名言

・結局、実力以上の仕事なんてない。そういう(難しい)仕事に指名されたということは、その人は優秀なんだと思いますよ。

・与えられた条件の中で前を向いて頑張っていれば、チャンスも回ってくる。

・仕事の約束が守れなかった時に、コミットメントや目標値が高すぎると感じることもあるかもしれない。でも「どうせ自分には手が届かない」という自己否定的な考え方は仕事のプラスにはならない。

・日本では出る杭は打たれますが、アメリカ、少なくとも私がいた会社は違う。出る杭はもっと出てくるようにと引っ張られる。出る杭しか上に引っ張り上げてもらえない。難しい仕事を託された時は、「あなたには出来る」という保証書付きなんです。

・自身の経験から、始末の仕方を誰よりもよく知っていて。リカバリーショットの打ち方を知っておくのも大事なこと。赤字を出すような失敗は学ぶチャンス、という受け止め方もあると思います。

・短いスパンでコミットメントが設定されていれば、守れないケースだって当然出てくる。それでいちいち悲観したり、自分の能力を低く見積もってしまうと、目の前の仕事にも影響してくる。反省は必要ですが、すぐに次のコミットメントに向けて動き出さなければならないわけですから、切り替えることも大切。

フォードの歴代社長の名言

ヘンリー・フォード

ヘンリーフォードは1863年7月30日に、アメリカ合衆国で生まれました。

10代になって父からプレゼントされた懐中時計が、その後の人生を変えます。
懐中時計から、機械に興味を持ち始め、15歳のころには近所の人々の時計を何度も分解・組み立てし、時計修理がうまいという評判を得るように。

1876年に母が亡くなったことにショックを受け、その3年後にショックを引きずったまま地元を離れます。
見習い機械工として就職しますが、6年後には再び実家に戻り、農場の仕事を手伝うように。そこで結婚し家族をもうけます。

1891年に「エジソン照明会社」の技術者となると再び機械への情熱を取り戻し、1896年には「Ford Quadricycle」と名付けた自作4輪自動車の製作に成功。
その後も続々と自動車を完成させていきます。

1908年に発表された「T型フォード」は現在まで語り継がれる、伝説の自動車となっています。

ヘンリー・フォードの名言

・大抵の成功者は他人が時間を浪費している間に先へ進む。これは私が長年、この目で見てきたことである。

・自分で薪を割れ、二重で温まる。

・失敗とは、より賢く再挑戦するためのよい機会である。真面目な失敗は、なんら恥ではない。失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む。

・決断しないことは、時としては間違った行動よりたちが悪い。

・あら探しをするより改善策を見つけよ。不平不満など誰でも言える。

・障害が恐ろしいものに見えるのは、目標から目を離すからだ。

・本人が出来ると思えば出来る。出来ないと思えば出来ない。どちらにしてもその人が思ったことは正しい。

・お金以外に何も生み出さないビジネスは、賢いビジネスである。

 

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