日本の自動車メーカー各社の歴代社長の名言まとめ

日本の自動車メーカー各社の歴代社長の名言まとめ

 

今や日本の各自動車メーカーは、その業界でトップクラスに君臨する、世界的に有名な会社へと成長しました。

日本の自動車メーカーがそれぞれこんなにも大きく成長出来た理由は、「技術力」や「発想力」「実現力」がずば抜けていたから。
これらの要因ももちろんですが、最大の理由は【歴代社長が優秀だったから】ではないでしょうか。

並々ならぬ努力で日本の自動車業界の隆盛を築いてきた人物たちの言葉は、現代を生きる私たちの人生にも勇気や希望、気付きを与えてくれます。

今回は【日本の自動車メーカー各社の歴代社長の名言】をまとめ、一覧にしました。

日本の自動車メーカー各社の歴代社長の名言まとめ

偉大な人物が遺した言葉に触れることで、人生がガラリと変わることもあります。

トヨタやホンダなど、業界大手の歴代社長の言葉を中心に名言をまとめました。

トヨタの歴代社長の名言

豊田喜一郎

豊田喜一郎(とよだきいちろう)は1984年6月11日、静岡県で生まれました。
「発明王」として有名だった父・豊田佐吉の工場で幼少期の大半を過ごしたことが、その後の喜一郎の”情熱的なモノ作り精神”を育てたと言われています。

東京帝国大学・工学部を卒業後は地元の名古屋に戻り、父の会社(豊田紡織)に入社。
1926年に「豊田自動織機製作所」を設立するまで、自動織機の研究・開発に励みます。この間、喜一郎が開発した「G型自動織機」が海外で高く評価されるなど、多くの結果を残しています。

1926年に豊田自動織機製作所を設立した後は、海外での研究・開発にも力を入れる。
1933年には豊田自動織機製作所内に自動車製作部門を新設。
その4年後の1937年には自動車製作部門が独立し、現在の「トヨタ自動車工業株式会社」を創立した。

豊田喜一郎の名言

・どんな些細な欠陥でも、本質に立ち返って見直しなさい。

・困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かもしれないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。

・出来ないと言う前に、まずやってみろ!

・誰もあまりやらない、またやり難い事業をものにするところに人生の面白味がある。

・どうせやるなら、世人の一番難しいと言う、大衆乗用車を作ってみようという立場からやりたかったのです。

・今日の失敗は、工夫さえ続けてさえいれば、必ず明日の成功に結び付く。

・現場で考え、現場で研究せよ。

・作ってやる、売ってやるではいけない。買ってもらう、作らしてもらっている、という気持ちでなくてはいけない。

・一本のピンも、その働きは国家に繋がる。

・人間のやったことは、人間がまだやれることの100分の1に過ぎない。

・汽車に乗るのに一分のことで乗り遅れたというが、一分どころか一秒だって遅れたら汽車には乗れない。かといって、駅に行くのが早すぎれば汽車が来るまでぼんやりと待っていなければならず、時間の無駄である、つまり私の言う「ジャスト・イン・タイム」とは、間に合うというだけの意味ではない。余分なものを間に合わせても仕方がないんだ。

・技術者は実地が基本であらねばならぬ。その手が昼間はいつも油に汚れている技術者こそ、真に日本の工業の再建をなし得る人である。

ホンダの歴代社長の名言

本田宗一郎

本田宗一郎(ほんだそういちろう)は1906年11月7日、静岡県で生まれました。

16歳で自動車修理工場の「アート商会」に入社しますが、自動車のより専門的な知識を得たいと考え、30歳で浜松高等工業高校・機械科の聴講生になります。

浜松高等工業高校・機械科で学んだ知識を生かし、自動車修理工場を大幅に成長させた宗一郎は1937年に「東海精機重工業株式会社」の社長に就任。
1946年には「本田技術研究所」を創設しました。

h4 本田宗一郎の名言

・苦しい時もある。夜眠れぬことも あるだろう。どうしても壁が突き破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感に苛まれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。

・私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ。

・自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。

・失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。

・伸びるときには必ず抵抗がある。

・新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。

・進歩とは反省の厳しさに正比例する。

・成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。

・やろうと思えば人間は大抵のことが出来ると私は思っている。

・チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。

・需要があるからつくるのではない。我々が需要を創り出すのだ。

・人生は冒険、仕事も冒険、そして生きるのも冒険。

・「得手に帆を揚げて」とはよく言ったもので、得意な道を一生懸命に打ち込んでおりさえすれば、チャンスは必ずある。

・失敗したからといって、くよくよしている暇はない。

・失敗のない人生なんて面白くないですね。歴史がないようなもんです。

・どんなに小さくても、気づいたこと、思ったこと、観たことを仲間に話したり伝えてみよう。アイデアは出てくるし、勇気も出てくる。

・教わった知識を鵜呑みにせず、自ら実行し体験から掴む知識と合わせると、未来へ進む力になる。

・日本一になるなどと思うな。世界一になるんだ。

・24時間は1秒たりとも伸ばすことは出来ない。一定の時間の中により多く自己の生活を楽しむためには、働く時間を酷使するより他に方法がない。

・私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。

三菱自動車工業の歴代社長の名言

岩崎弥太郎

岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は1835年12月11日に、高知県で生まれました。

1854年から江戸で勉学に励んだ弥太郎は、父と共に投獄されたり散財して官職を失ったりと、波乱万丈な人生を歩みます。

しかし1837年に土佐藩士たちが設立した「九十九商会(くつもしょうかい)」の監督役に就任したことで人生が好転。
真面目な働きぶりが評価され九十九商会の経営を引き継ぐことになると、2年後には東京日本橋に「三菱蒸汽船会社」を新設します。
この三菱蒸汽船会社が現在の「三菱財閥」のスタートだと言われています。

岩崎弥太郎の名言

・小事にあくせくするものは大事ならず。よろしく大事業経営の方針をとるべし。

・一たび着手せし事業は必ず成功せしめざるべからず。

・奉公至誠の念にすべて寸時もこれを離るべからず。

・部下を優遇するに努め、事業上の利益は、なるべく多くを分与すべし。

・創業は大胆に、守成は小心たれ。樽より汲む水にまして、こぼれる水に留意すべし。

・機会は魚群と同じだ。はまったからと言って網を作ろうとするのでは間に合わぬ。

・機会は、人間一生のうちに誰でも、一度や二度は必ず来るものである。それを捉え損ねると、その人は一生立身出来ない。

・自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。

・およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。

・小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ。

・酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉め直す。しかし底が緩んで少しずつ漏れ出すのには、多くの者が気付かないでいたり、気が付いてもあまり大騒ぎしない。しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れのほうを大事と見なければならない。

・国家的観念をもって、すべての事業に当たれ。誠を持って公に尽くさんとする真心は、瞬時も忘れてはならない。

マツダの歴代社長の名言

松田重次郎

松田重太郎(まつだじゅうたろう)は1875年8月6日に、広島県で生まれました。

14歳の時に丁稚奉公で大阪に出て、修行の一環として機械の製作技術を身に着けたことが「マツダ株式会社」を創業する礎となります。

一流の機械技術者として広島県や長崎県で働いていた重太郎は、1906年に「松田式ポンプ」を完成させます。
この松田式ポンプを販売するために、「松田製作所」を創業。松田式ポンプの評判が広まるにつれ事業はどんどん拡大していきます。

1920年には広島県に「東洋コルク工業株式会社」を創業し、この会社が1984年に会社名を変更することで、現在の「マツダ株式会社」へと繋がっていきます。

h4 松田重次郎の名言

・私の辿った道は困難と苦節の道だった。私はそれをただまっすぐに進んでいった。そうさせたのは「信」の一文字である。私は自分を信じるとともに、天を信じた。

松田恒次

松田恒次(まつだつねじ)は1895年11月24日に、大阪府で生まれました。
父は東洋工業(現・マツダ)の創業者・松田重次郎(まつだしげじろう)で、恒次はマツダの3代目社長。

幼少期から父・重次郎の経営する鉄工所に出入りしていたため、機械と触れ合う時間が長かったようです。この経験が、後の自動車にかける情熱の基礎となったと言われています。

1915年に旧陸軍宇治火薬製造所に就職し、6年後の1927年から「東洋コルク工業(父・重次郎経営の会社)」に入社します。

1951年には東洋工業の社長に就任し、現在の地位を確立するまでに会社を大きく成長させました。

松田恒次の名言

・どんなに素質のある選手を集めても、その生活環境が恵まれなければ立派な選手は育たない。

・優れた技術はどしどし導入している。社内にあっても、研究や研究のための施設には惜しみなく資金をかけている。無駄を省いてこそ出来る贅沢なのである。

スズキの歴代社長の名言

鈴木道雄

鈴木道雄(すずきみちお)は1887年2月18日に、静岡県で生まれました。

幼少期からモノ作りが好きだった道雄は、小学校を卒業した後、大工の見習いとして働き始めます。
手先が器用な道雄の、丁寧な作業は評判を呼び、織機を修理する織機大工として活躍することに。

1908年には織機大工として独立。織機を製造・販売し、事業を成功させます。
事業は順調に成長していき、独立してわずか1年後の1909年に「鈴木式織機製作所」を創業したのでした。

鈴木道雄の名言

・人がやってからでは遅い。誰もやらないうちにやらなければならない。人がいない、技術がない、資金がないと言っていたら事業は出来ない。自分が一人で商売を始めた時もそうだった。それでもこれだけの会社が出来た。

 

 

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